メモ

 本日で閉鎖する予定のブログでしたが、これだけは皆様に読んでいただきたい手記が届きましたので緊急に更新します。防衛省の方を通じていただいた東北の災害現場の生のレポートです。かなり生々しい表現もありますがこれが現実であり希望のための一歩でもあります。

 是非、読んでみてください。

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3月16日(水)

昨日に引き続き、現地視察で野蒜(「のびる」と呼びます。仙石線が行方不明になったところです。)、東松島(松島基地が水没したところです。)、石巻へ行ってきました。

歴史の教科書で、終戦直後の日本の写真がありましたが、いずれもそのイメージです。どこに道があったのか、家があったのか、全く分かりません。瓦礫の山です。そこに道を通すべく(「啓開」といいます。)、瓦礫を片付けていきますが、その下にはたくさんの遺体があります。したがって、重機で無造作に片付けるのではなく、土器の発掘に近いイメージで薄皮をはがすように丁寧に瓦礫を片付けていきます。大変時間がかかります。

瓦礫の山の地域の他に、水没してしまった地域もありますが、発災後5日目となりますと、遺体も大分傷んできます。隊員が遺体を見つけて引き上げようとすると、説明が難しいのですが、さわった部分が溶けてしまって、残りの肉体が沈んでしまいます。それをかき集めながら、なんとか引き上げようと悪戦苦闘しているのですが、思うように作業が進みません。

遺体と向き合う毎日で、さぞや気も滅入るだろうと思いますが、東北気質と申しますか、隊員は雪空の下、黙々と作業をしています。ご遺族もその作業を黙々と見守っていらっしゃいます。本日、ちょうど正午に野蒜に到着したところ、各部隊が昼食をとるなか、一つの部隊だけが、壊滅した家の中を一生懸命に探しておりました。側でご家族がそっと立っておられました。間もなく隊員がご遺体を見つけると、ご遺族は静かに手を合わせて、涙ながらにお礼を述べておられました。

各連隊長と話をしますと、「遺体を捜しながら啓開するので、とにかく作業に時間がかかるんです。」と口々に言っておりました。他方、遺体を扱うだけに、マスコミはそういう現場へは近づかず、実態が分からないために、「自衛隊は作業がのろい、民間の工事であれば、とっくの昔に道が通っているのに。」と言われて、本当にやりきれないとのことでした。「きっと中央でも現場は作業が遅いと不満でしょう?」と言うので、「そんなことはないです、大臣以下、現場のことをよく理解して、皆さんの仕事に敬意をもっていますよ。徳地局長などは現場が大好きで、よく部隊へ出張しますし。」と答えたところ、大変喜んでいました。

東北に来て思ったのは、隊員に「困ったことはありませんか?」と聞いても、必ず「特にありません。満足です。」という回答が返ってくることです。災害派遣でもそうです。しかし、よく隊員の格好を見ますと、水の中に入るときにはく胴長やライナーにかけたヘッドライト、ゴム手袋が各自色違いだったり、デザインが違ったり、「ちぐはぐ」な印象を受けます。いろいろな部隊から来ているからかなと思って聞くと、単に部隊に必要な数がないので、自分たちで買って使っている、「こんなの自衛隊では当たり前のことですよ。」とのことでした。早速、装備部に改善するようお願いしました。部隊生活で、部隊のことを知らない自分に何ができるのだろうかと悩むこともありますが、逆に部隊のことを知らないために、自分にもできることがあるのではないかと少し手応えを感じることができました。

今晩ですが、電気と水が復旧しまして、発災後、初めて白いご飯を食べることができました。カレーライスです。感激です。デザートの菓子パンは明日の朝のために、食べずに持ち帰りました。これでラーメンを食べることができれば、もう思い残すことはないという感じです。風呂には相変わらず入れず、頭が犬のような臭いになってきましたが、理由はわかりませんが、身体は冷えにくくなってきました。今日は一度家に戻って、下着を着替えて来ました。身体は洗えませんが、気分爽快です。久しぶりに子どもにも会えて、嬉しかったです。

3月19日(土)

総監部では、生活支援強化の一環として、入浴支援について、3県と調整を進めています。陸上自衛隊の入浴設備は20セットほどありますが、今回のように広域で被災者数が多くなりますと、全くの不足です。現在、海空米軍にも声をかけていますが、不足であることには変わりません。したがって、銭湯に燃料を優先的に手配したり、東北各地にある温泉まで無料の送迎を提供する等の工夫をした上で、それでも自衛隊に頼らざるを得ない地域に入浴セットを提供したいと考えています(自宅の風呂の復旧は大分時間がかかるようです。)。県にも、少しは汗をかいてもらいたいところですが、自衛隊に「おんぶに抱っこ」で当事者意識がありません。苦労しています。

本日、南相馬市へ行ってきました。念のため、防護服とガスマスクの装着を訓練してから出発しました。まず仙台から南下しまして、山元町(宮城県)→相馬市(福島県)→南相馬市(同)と移動しましたが、南相馬市へ近づくにつれ、一般の車両、特にトラックが皆無となりました。隊区の連隊長の話では、原発20-30km地点は危ない、その近くも危ないということで、一般の物流が途絶えているそうです。この地域は、屋内退避地区で、避難所の他にも自宅で多くの人が生活しておりますので、自衛隊や自治体の救援物資の流れだけでは、全員はまかなえません。一般の物流が不可欠ですが、正確な知識ではないとはいえ、人間心理に関するものだけに、対応が難しいところです。聞いた話では、いわき市でも、物流が途絶えているそうです。いわき市、20-30km地域はごく一部で、そのほとんどが30km圏外なのですが。

今回の震災では、福島県庁や南相馬市の対応がよろしくないとの噂を聞いておりましたが、12旅団30連隊長の話では、県庁に12旅団の幕僚長がLOで出ていることもあり、連携は円滑とのことです。県や市では、住民を30km圏に退避させることを考えていることもあり、実際に、自衛隊の方では、一部の病院や特養について依頼を受け、既に100人以上、避難を実施済みです。また、自宅に退避している者についても、退避させる際には、市の職員が自衛隊の車両に乗り、一緒に自宅を回ることを決めているそうです。ただ、避難させた後の受け入れ先、特に特養や病院にいる者となりますと、県内や市内には同種の施設がありません。さらに、県外については、県のネットワークや力では、受け入れ先を見つけることは簡単ではありません。したがって、県や市の避難準備はどうしても遅くなります。

この地域の部隊ですが、海沿いの地域で、津波により、田んぼと海が一体化したようになっておりますので、捜索に非常に時間がかかっています。湖のような中に家や車が多数浮かんでいます。これまで、水面に出ている車や家をなんとか捜索してきましたが、水中にはまだ多くの家や車が残されています。足場が悪く、重機は運び込めませんので、手作業で少しずつ水を抜いては捜索をしています。昨日、総監から、徐々に生活支援へ重点をシフトするよう指示が出ましたが、この地域ではまだまだ捜索を主とする必要があります。

今日は、少し暖かったためか、周囲には猛烈な臭気が漂っておりました。そうした中で、ときおり遺体が発見されますが、3日前よりも更に傷みがひどく、2倍ほどに膨れ上がった身体を隊員が抱きかかえるように引き上げたりと、相当に悪戦苦闘しておりました。連隊長に話を聞くと、隊員の中には、夢でうなされたり、食事中に胃液がこみ上げてきたりする者も増えてきており、隊員の精神的なダメージが心配です。

帰りに山元町(宮城県)にいる14連隊(金沢)を視察しましたが、最近、被災家屋からの窃盗への対応に苦労していました。「こそ泥」とは言いますが、本当にけしからん話です。今日は土曜日だったこともあり、被災者が多数、自宅や近所を訪れていました。彼らは、たとえ家族が生きていないとしても、せめて遺体だけでも。それすらも叶わないとなれば、倒壊した家の中で、形見になる物はないかと、すがるような思いで探しに来ています。こそ泥は、額にすれば、わずかなものかもしれませんが、家族にとっては、かけがえのないものです。そのため、連隊では、「声かけ運動」をしているそうです。声をかけて、本当に困っている人であれば手助けができますし、不審な者は逃げ出すそうですので、「一石二鳥」となります。

その声かけ運動の成果か、視察中、倒壊した学校跡で、沼の中から、小隊が全員で何かを引き上げておりました。最近、数多く見ているとはいえ、嫌な予感がしましたが、10分ほどして引き上げられたのは、大きな金庫でした。聞けば、学校の先生が、成績表をなんとか全員に配ってあげたいが、沼に埋まってどうにもならない。そこへ小隊が通りかかったそうです。特に子どもが行方不明となってしまった親御さんは、家が流されて全てなくなってしまったので、成績表だけでも形見としてもらえないか、と先生のところにお願いに来るそうです。小隊長は、「方面の偉い人」に見つかってしまったという感じで、「すいません。今後は捜索に集中しますので、今回だけは見逃してください。」と言い訳するのですが、そんな必要は全くない。素晴らしいの一言です。

この小隊長と少し話をしましたが、いつものように「何か不足している物はありませんか?」と聞いたところ、カイロが欲しいとのこと。「冬空の下で、水に浸かっての作業はつらいですよね。」「いえ、夜寝るとき、寒くて仕方ないんです。」。普通、テントの中には、ストーブがあるはずですが、理由を聞くと、到着した日に、避難所の人たちが寒そうにしているので、持っている灯油をすべてあげてしまったそうです。以来、夜は寒くて仕方がないと。意識してみると、視察中、多くの人とすれ違いましたが、頭を下げてくれたり、敬礼をしてくれたり、皆が親しみを表してくれます。東北人は「人に甘すぎる」と言われることもありますが、この災害派遣を通じて思うのは、心の優しさは自衛官に最も必要な素質だということです。優しさがあれば、「きめ細かい対応」とは何か、と難しく考える必要もありません。

嫁が天童の出身ですので、私にとって、東北は「第二の故郷」になりますが、今回、改めて、東北に赴任することができて良かったなと感じています。震災後、多くの人に、大変な時に東北へ来てしまったね、と同情されます。確かに、ご飯は食べられないし、風呂にも入れない、トイレに難渋するし、歯も磨けない。あまり良いことはありませんが、こういう大変な時でも、優しい気持ちを忘れない人たちに囲まれているのは、幸せなことです。厳格な義父とは、2分と会話が持たず、毎回苦労しています。先日、「そんなに東北が好きなら、山形に家を建てようか?」と聞かれ、恐怖のあまり、頭の中が真っ白になってしまいましたが、義父はともかく、やはり東北に家を建てようかなと思っています。

3月20日(日)

本日は記者対応を兼ねて、牡鹿半島の先にある網地島(「あじしま」と読みます。行政上は宮城県石巻市です。)という離島へ行って来ました。霞の目駐屯地(仙台駐屯地から車で10分)から、ヘリで20分程で到着します。

島には約400人が住んでいます。高齢者の方が多いところです。牡鹿半島の先にある鮎川港(女川原発の近くです。)から船で20分、石巻港からも60分の距離にありますが、震災後、定期便は運休となっています。したがって、「孤立地域」に分類されます。私の関心としては、孤立地域の避難所の状況、特に、ツイッターで、「停電で夜は暗くて寒い、このままではお年寄りが死んでしまう」という趣旨の書き込みがありましたので、物資がしっかりと届いているかを確認することにありました。

記者たちが、島の診療所に医薬品が搬送されているところを撮影する間、2時間ほど、隣の避難所で話を聞いてきました。現在、私の嗅覚は異常なまでに発達しておりますので、入ってすぐに、ラーメンと「いも汁」(東北の名物です。仙台風は豚汁のイメージです。)の臭いを探知し、机におにぎりの山を見つけ、少なくとも、食べ物に困っていることはないと判断しました。実際、話を聞くと、ガスは使えるし、井戸水もあり、自衛隊も定期的にヘリで物資を届けますので、食べ物については、むしろ、震災前よりも良いくらいとのことでした。

他方、停電は続き、灯油も節約しているとのことで、「停電で暗くて寒い」との指摘は、あながち嘘ではありません。とはいえ、懐中電灯はあるし(発電機は重油とガソリンを入れ間違えて壊してしまったそうです。)、ストーブも2時まではつけており、室内も40畳くらいのところに20人程度で寝るそうですので、「このままでは・・死んでしまう」かは微妙なところです。

そこで、避難所の皆さんから話を伺いましたが、とにかく皆さん、話すこと話すこと。最高齢の98歳のおばあちゃんは、津波が来るというので、おじいちゃんの遺影を抱えて覚悟をしたが、そこへ青年会が助けに来てくれた、家は流されてしまったが、間一髪、自分は助かることができたとのこと。世話係のような40歳前後の女性は、石巻にいる親戚と連絡がとれず心配で仕方なかったが、昨日、携帯電話のアンテナが奇跡的に1本だけ立ったので、連絡してみたところ、親戚が電話に出てくれて、お互いに泣いて喜んだとのこと。

70歳程度のおばあちゃんは、津波が来るというので、必死で避難所へ駆け上ったが、気が動転していて、山の方へ行ってしまった。夜になって、電気は来ないので、暗闇の中、本当に心細い思いで一人で避難所を探したが、どうしても探せない。海は「うんうん」うなるような音がして、波の音は「ばさーばさー」するし、怖くて仕方がなかった。人の声がかすかに聞こえたので、そちらへ行ったら、ようやく避難所にたどり着いた。しかし、そこも停電で暗いので、怖くてがっかりして「死んでしまいそう」な気持ちになったとのこと。

ツイッターの書き込みの話に似ていますが、「そうですか」「大変な思いをしましたね」「せっかく暗闇から逃れられると思ったのに、避難所も暗いんじゃ、がっかりしますよね」「そうですよね。早く明るい部屋で生活したいですよね」と大声で相槌を打ちながら、「早く電気を復旧させて欲しい。発電機をもっと欲しい」等々の話をとにかく聞き続けると、そのうち落ち着いたのか、「こんなに大きな地震だから、すぐに普通の生活に戻んのは無理な話だな」「命だけでも助かったんだから、感謝しねーとといけねーな」「自衛隊さんには、親切に面倒を見てもらって、ほんど感謝してます」と言ってくれるようになりました。

まだ1ヶ所しか避難所をまわっていませんので、勝手に結論を出すのはいけませんが、この避難所について言えば、確かに、歯ブラシ、楊枝、電池、携帯のアンテナは足りないようです。ただ、皆さんが一番求めているのは、人とのつながり、自分の感じた恐怖や喜びを他の人と分かちたいという「気持ち」のように感じられました。失礼な例えかもしれませんが、私の6歳の息子も、「遊んでくれないと死んじゃう!」とよく言うのですが、ポイントは「死んじゃう」ではなく、かまって欲しい点にあります。

避難所の皆さんとは、今日初めて会ったとは思えない親近感がありましたが、私も被災者の一人ということが大きいようです。私の話、八戸で地震があり、なんとか近くの八戸駐屯地へたどり着いたものの、新幹線は故障、高速は通行止めで、仙台へ帰る手段がなかったこと。1日かけて、自衛隊の車両を乗り継いで、なんとか仙台へ帰って来たが、途中、電話がつながらず、どうしても家族の安否が確認できなかったこと。ニュースでは、仙台は震度6、大津波、大火事とのことで、心配で仕方なく、車中で、娘が初めて笑ったときの顔や、息子が私の顔の絵を描いてくれたことなどが思い出され、どうにも涙がとまらなかったこと。家に着いたが、家族の姿はなく、家の中は本棚などが倒れて、荒れていたこと。呆然と職場にたどり着いたときに、家族が元気で職場に避難していたのを見つけ、脱力して座り込んでしまったこと、等々を話すと、皆さんも、いちいち肯いては、涙を流しながら聞いてくれました。

金曜日に指示が出され、生活支援へ重点をシフトしていくこととなりました。今後、質量ともに今までよりも充実した支援ができると思いますが、自衛隊の支援も「計画経済」に変わりませんので、避難所にいる皆さんの需要を完全に満たすことはできません。これからも不満は多数出されることになると思います。その際、必要な物資を速やかに提供することも大切ですが、皆さんの不満や意見、身の上話などを丁寧に聞いていくことも忘れてはいけません。場合によっては、「物が欲しい」は口実で「話がしたい」が本命かもしれません。

本当は、こういう対応を市町村に期待したいところですが、先日、石巻市を訪れたところでは、関係者は涙目で、呆然としていて何をしたらいいのか分からないという感じでした。手ぶらでは避難所に行けない、避難所に行かないからニーズが分からない、ニーズが分からないから救援物資を配分できない、配分しないので避難所に物が不足する、物が不足しているので手ぶらでは避難所に行けない・・という悪循環で、石巻総合運動公園には、市役所の物資は倉庫にあふれ、配分するために待機している自衛隊の車両もたくさん並んでいました。

しかしながら、「ないものねだり」は意味がありません。何よりも避難所の人たちは制服を着た人、特に緑色の自衛隊の人と話したいということであれば、自衛隊の方で何とかしないといけません。いよいよ、明日から即応予備自衛官の運用が開始されますが、東北方の彼らは、数は50人と少ないですが、みな被災者で、同じ境遇の人たちの気持ちは痛いほどよく分かります。総監も積極的に活用していくとのことですので、今後、大いに活躍できる場があると思います。

ちなみに、私はいま、自衛官と同じ迷彩服を着ていますが、避難所から帰る際に、6歳の男の子に声をかけられまして、一緒に写真を撮って欲しいとお願いされました。「将来はおじさんみたいな自衛官になるんだ!」とのことです。本当は私は自衛官ではないのですが。続けて、「でも、おじさんみたいに太りたくはないけど」と。元気いっぱいです。よけいなお世話です。でも、ちょっと嬉しかったです。

3月21日(月)

本日は東松島市と遺体の搬送・埋葬の調整に追われました。現場のために、防衛省の方で、厚労省へ強く働きかけていただき、大変嬉しい限りですが、市を動かすのはなかなか難しい作業です。結局、埋葬は市が契約する業者に任せることとし、搬送は自衛隊が行うこととなりました。遺体は600体、丁寧に埋葬する必要があるため、毎日60体を10日間で搬送します。トラック4台と10人前後がこの作業を行います。市の方は、職員や消防関係は手一杯で搬送できない、業者も見つからない、見つかったとしてもガソリンがない、と誠意のない対応で、腹立たしい限りですが、ここは頭を切り替えて、冷静に考えますと、資源配分という問題が出てきます。

東松島市と調整中、石巻市と女川町からも同じ依頼があり、石巻市の依頼も受託、女川町については明日細部を調整することになりました。今後、同じように、沿海の各市町村から依頼が来ますと、自衛隊の車両のかなりの部分を遺体の搬送に振り向ける必要が出てきます。現在、遺体の捜索を行いつつ、徐々に生活支援へ重点をシフトしておりますが、その際の輸送力の何割かが、遺体の搬送に充てられることになります。一昨日、沿海の現場を訪れた際に、強烈な臭気がありましたので、遺体の埋葬は待ったなしです。他方、業者の話を聞きますと、民間の物流の復旧にはあと1週間はかかるそうですので、それまでの物資の輸送も必要です。どちらをとるべきか、悩ましい判断です。現場としては、可能な限り自治体で対応してもらえると助かりますので、引き続き、厚労省へ働きかけていただけますと幸です

この他、救援物資が流れているかを確認するため、宮城県が指定している4ヶ所の物資の集積場を視察してきました。4ヶ所ともに、昨日までは搬入される一方で在庫が過剰だったが、今日から大分搬出されるようになったとのことです。少しは流れが良くなってきたようです。他方、暖房器具や毛布等の集積場である日通の担当者と話をしたところ、「県は何を恐れて、配給計画を修正ばかりしているのでしょうか」とご立腹でした。

民間業者であれば、過剰生産、過剰販売で返品の山となれば大赤字となってしまいますが、救援物資については、収支の勘定を合わせるのが目的ではなく、避難所が不足しないようにすることだけを考えればいい。となれば、細かい点を気にせずに、丼勘定で、○○市の避難所にいる人数は1000人、不足するリスクを考慮し、多少の増加を見込んで、食事は「だいたい」何食、毛布は「おおよそ」何枚、それで配ってしまえばいいではないか、とのことです。現在、県は集積場を4ヶ所からさらに3ヶ所増やすそうですが、在庫を増やすのではなく、物を流通させないといけない、と担当者は力説しておりました。県も、避難所の皆さんのため、見積りを間違ってはいけないというプレッシャーがあるのかもしれませんが、結果的には、在庫が積み上がる一方で本末転倒となっています。

細部の話になりますが、宮城県(仙台市)の「売り」は、集積場を、食品、衣類、生活用品、暖房類と機能別に集積していることです。しかし、避難所へ物資を輸送する際には、機能別に食品だけを持って避難所を回るのではなく、○○避難所には食品×2、衣類×1、生活用品×3、暖房類×2、△△避難所へは・・と避難所ごとに分類して輸送します。一つの避難所へ輸送するだけでも4ヶ所の集積場を回る必要がありますが、2tトラックとなりますと複数の避難所へ輸送しますので、積み荷だけで何回も集積場をぐるぐると回る必要があり、本当に非効率です。総監部からは、行政副長が県庁へリエゾンとして出ておりますが、アドバイスをしても、聞く耳をもたないそうです。自衛隊の言うことを聞いてくれないのであれば、民間業者を手足として使うのではなく、頭脳をお借りしていただくという手もありますが、県の理解を得るのは、なかなか難しいです。

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    ほぼ一年経つが、その土地の風景が浮かぶだけに 涙無しには読めない。しかし、自衛隊含め現場に向かわれた方、本当にありがとうございました。現地のみなさん、直接にはお助けできませんが、自分の出来る範囲で、これからも援助していきます。頑張ってください...
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